アルマ カーリン ー 女一人の世界旅行ー

アルマ・カーリン って誰? 1920年代に一人で世界一周を実現した女性

1920年代のヨーロッパで、女性が自分の衝動(世界旅行など)を実現し、カーリンが望むように自分を表現(文章)することは、まだ非常に困難な道でした。

アルマ・カーリン(1889-1950)は、著名な旅行作家であり、ジャーナリストでもありました。彼女は旧オーストリア・ハンガリー帝国のツェリエの出身です。彼女の名は、第一次世界大戦直後から1930年代にかけて行われた世界旅行に関する出版物を通じて、主に知られるようになりました。

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カーリンは、他の女性世界旅行者と違って、経済的な蓄えもないまま、1928年まで続く長い旅に出ました。カーリンの持ち物は、旅行用タイプライター「エリカ」、自作の10カ国語辞書、130米ドル、950ライヒスマルクのみです。世界旅行中は自分で稼いで、旅を成し遂げました。借金をしたこともありました。

南米にもアジアにも長期滞在していました。特に日本に興味を持ち。その準備段階で、すでに日本への入国ビザを取得していました。旅行記を参考にしながら、十分な準備をしたそうです。

やがて東京に移り住み(1922年6月~1923年7月)、仕事や日常生活以外の時間は、鎌倉から日光、富士山へと観光客に人気のあるルートを訪れました。例外は、関西と九州、そしてそこから当時日本が植民地支配していた朝鮮半島へ行きました。アルマ・カーリンは語学の才能に恵まれていましたが、日本語は十分に話せなかったようです。日本滞在中は、日本語の勉強に集中しようとはせず、基本的な語彙しか使えませんでした。しかし、彼女は多くの日本人と英語で接触していました。カーリンは、これまで日本を訪れた欧米人の誰も成し得なかった方法で、「日本の魂」に迫りたいと考えていましたが、結局のところ、彼女は「旅人」の領域から出ることはなかったようです。

日本文化が閉鎖的であることを背景に、日本語が話せず、西洋から来たカーリンにとって、日本文化を理解するために深く探究することは困難であったと容易に推測できます。しかし、ヨーロッパ人が日本の日常文化を理解するために必要な特徴は、確実に把握していました。カーリンの著作や日本から持ち帰ったコレクションからは、新しい知識を吸収することに強い関心を持ち、人々の生活に民俗学的な興味を抱いていたことがうかがえます。

カーリンを分析する上で重要な点は、1920年代の「新しい女性」としての彼女の役割であり、さらに、カーリンの思想にとって中心的な存在であった神智学の神秘思想との関連で分析が行われる必要があります。

カーリンが日本に好感を持ったのは、滞在中に経済状態が安定したことも大きく関連します。大使館、大学、そしてジャーナリストとしての仕事を見つけることができました。しかし、滞在中、純然たる小説を1ページも書けないことに悩まされました。お金のために働いているのに、芸術的なことができないジレンマを経験したのです。

しかしその後、日本滞在の知識と経験をベースにした幾つかの小説を書いています。未出版のまま図書館に保管されている作品もあります。

今後も、アルマ・カーリンを探っていきます。

参考

ドイツ語版 (本人)

TAKAMIYA, Junko (Nihon University): Ein exotistischer Japan-Reisebericht von einer europäischen Weltreisenden: Alma Karlin als die „neue Frau der 20er Jahre“

ドキュメンタリー動画

Alma M. Karlin – The Odyssey of a Lonely Woman 

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