「ドイツ語がうまくならない」と悩んでいるあなたへ|ドイツ語が伸びない理由は語学力じゃなかった

もしかすると今、ドイツ語がうまく話せなくて、
自分のことを“足りない”と感じているかもしれません。

でも大丈夫です。私も、何年もそう感じてきました。
今では、ドイツ語は「正しく話すもの」ではなく、「安心して使える道具」になりました。

その日がきっと、あなたにも来ます。

ドイツ語が「できるようになる日」は、必ず来る

もしかすると今、
ドイツ語がうまく話せなくて、
言いたいことを言えなくて、
「私は向いてないのかも」と感じているかもしれません。

でも大丈夫です。
私も、長い間そう思っていました。

「中級の沼」で足踏みしていた

今でこそ、電話もできて、病院でも、役所でも話せるようになりました。
でもそこに至るまでは、とても長い時間がかかりました。

一番つらかったのは、「なんとなく話せるけど、自信が持てない中級」の時期です。

  • 文法も勉強した
  • 語彙もそこそこ知っていた
  • 会話もある程度できていた

でも、なぜかずっと“話すのが怖い”
頭の中ではわかっていても、口が動かない。
そんな日が何年も続いていました。

なぜ、ドイツ語はこんなに苦しく感じるのか

「ドイツ語は難しい」
「役所が冷たい」
「ネイティブの話すスピードが速い」
「文法が複雑すぎる」

そう感じるのは、自然なことです。

実際、ある側面では事実でもあります。

でも最近、私はこう思うようになりました。

問題は、難しさそのものではなく、
自分のエネルギーをどこに向けているかなのかもしれない、と。

愚痴は、外に向かうエネルギー

  • 「難しい」
  • 「不親切だ」
  • 「聞き取れない」

こうした言葉を外に投げると、
一瞬だけスッキリします。

でも、言語は増えません。

自分の中にある力やエネルギーを、
愚痴として外に出して終わってしまう。

得られるのは、ほんの一瞬の安心感だけ。

自分と現実の間にある問題は、
何ひとつ解決されないままです。

希望が見えた、ひとつのきっかけ

愚痴でいっぱいの私の考えが変わっていったきっかけは、

「言葉は正しくなくていい」と思えるようになったことでした。

ドイツ語は「正しいかどうか」を判断されるテストじゃない。
暮らしていく中で、誰かと気持ちをつなぐ“道具”のようなもの。
そう思えるようになってから、
少しずつ、話すことが怖くなくなりました。

中途半端で仕事になっていくドイツ語

そして、その力は「お仕事」という形で反映されていくことになります。ドイツ語で講師をして、研究をして、ドイツ人の助手をして、通訳をして…

私の論文が、ドイツの有名な出版社から出ている本の一部として出版されました。
小さなことかもしれませんが、私にとっては大きな達成感がありました。

でも、たくさんのドイツ人の指導が入ってるので、まだ自分の100%の力ではありません。いつもどこか「まだまだドイツ語力が足りない」という気持ちはずっと拭えませんでした。

私は一体、あと何年ドイツ語を話せば満足できるのだろう…

ドイツでの育児が、私を本気にさせた

人は、安心できる場所では力を抜きます。
それは、とても自然なことです。

でも、
「もう自分が立つしかない」
そう腹をくくった瞬間、能力は急に目を覚まします。

甘えられる場所があるのは、素晴らしいことです。
でも、それがない状況には、

「腹が据わり、能力が目覚める」

という、別のメリットがあります。

ひとりで立つ日が来ると、人は変わる

海外生活も同じだと思います。

誰かが横にいると、無意識に頼ってしまう。
でも、ひとりで対応する場面が増えると、自分の力が出て来ます。

語学力が急に伸びたわけではありません。
意識が変わっただけです。

でも、その意識の変化が、結果的に語学力も伸ばしました。

私の場合、
ビザ、住まい、役所手続き、通院などを
一人で回すようになった時期に、一気に力がつきました。

このとき身についたドイツ語や英語は、
のちに「稼ぐ力」にもなりました。

もちろん、ひとりの時は、気が張っていて大変でした。
正直、裕福なマダムが羨ましいと思ったこともあります。

すべては、表裏一体です。

夫がいるとき、私は「聞いていなかった」

結婚し子どもが生まれてから、
出会う世界は一気に広がりました。

病院、検診、役所。
新しいドイツ語も、専門用語も増えました。

でも、夫と一緒にいるときの私は、安心しきっていました。

横に夫がいる。
何かあれば聞き返してくれる。
分からなければ、あとで聞けばいい。

ドイツ人の夫が全部やればいい。それが当たり前だと思っていました。

正直に言うと、
勉強する余裕も、意欲もありませんでした。面倒臭いとも思っていました。

子育てで精一杯だったからです。

だから私は、
「聞いているつもり」で、聞いていませんでした。

でも、そのことに自分では気がついていませんでした。

夫の育休が終わって、現実が来た

夫の育休が終わり、出張が増えました。

病院も、検診も、予防接種も、
すべて私ひとり。

その瞬間から、私は変わりました。

一語一句、聞き逃さない。
医師の表情、語尾、微妙なニュアンスまで拾う。

わからないことは、必ず聞く。
推測して言い換えて確認する。

「この意味で合っていますか?」

そうやって、必死で対応するようになりました。

そして、ようやく気がつきました。

問題は、語学力じゃなかった

私はずっと思っていました。

「ドイツ語力が足りないから自信がない」

でも、違いました。

問題は、語学力ではなく、責任でした。

夫がいるとき、私は甘えていました。
最終責任を、どこかで手放してました。

でも、自分が「最後の砦」になった瞬間、
集中力は勝手に上がります。

能力は、勝手に動き出すのです。

追い込まれるからこそ、見えるもの

思えば、私はいつもそうでした。

ひとりで立ち、腹をくくったときに、
一気に成長してきました。

仕事で、逃げられない状況で、ドイツ語の能力はさらに磨きがかかりました。

何も持っていない。
頼れる人もいない。

そんな状況のときこそ、
人は内側にある力を引き出します。

これは、たしかに「ある」と思います。

「ない」より、「ある」に目を向ける

海外生活や海外育児は、簡単ではありません。

孤独もあります。
不安もあります。

でも、「ない」ものにばかり目を向けると、苦しくなります。

・頼れない
・余裕がない
・時間がない
・ドイツ語ができない

そうではなく、

・嫌な出来事にあるメリット
・積み重ねてきた経験
・今の自分にあるもの
・エネルギーがプラスに働く方向

そこを見る。

追い込まれた場所には、
必ず「力の芽」があります。

※この記事の一部は、以前Noteで公開した内容をもとに、加筆・修正しています。

元の記事はこちらから読めます ▶

夫がいない日、甘えが消えて能力が目を覚ます話

Advertisement